闘病記

心筋梗塞になって入院してからの病院関連の記録日記。そんな闘ってません。

闘病記2 2023.2.23~3.27 金沢 LIVE AT 集中治療室 (僧帽弁置換術編)

つづきます


金沢の病院での日々は続きます。この年の雪はほぼ金沢の病院から眺めてました。
「外すごい寒いんですよ」といわれても他人事。Tシャツとパンツとペラペラの入院衣で平気で過ごしている。
雪降ってるなと思いながら氷水をくんできて、リハビリ室の窓から見える雪景色をみながら準備体操していた。

金沢は流石に遠くて娘もおいそれとこれないが、なにも不自由はなくなっていた。あえていえば氷水に入れるレモン果汁がなくなったことくらいか。これが売店にも売ってない。まい泉カツサンドや金沢で有名らしい料理店のピッツアやら挙げ句はアウトレットみたいな安売りまで定期的にやってるのにレモン果汁はないのよね。
だから、1回買ってきてもらったよ。金沢くんだりまで。まあ、それはそのあとにつながりますがきちんとした大義名分がありました。

リハビリで、自転車の検査を受けます。試験でしょうか。呼吸器をつけて心拍数などを計る機械をつけながら一定期間を漕ぐことで数値を見て、その結果が良好ならば退院(転院)になる。

詳しいことは忘れましたが、リハビリの先生と立ち会う担当医との兼ね合いが悪かったので木曜かそこいらが来週の月曜に延期になった。

長く入院してわかるけど土日は本当にヒマで。とくに不干渉がモットーの金沢はさらにドン。ナースと会うのも一瞬、先生もこない(あるいは一瞬)、患者同士とも話さない。つーことでヒマを持て余す。
と、げっそりしてたら、「どうせだから」とエコー検査を受けることになる。そこでまた運命が変わっていくのです。

思えば前回もそうでした。2012年に心筋梗塞で入院して、その処置か、それより以前なのかはサダカではないのですが、僧帽弁という血液の逆流をふせぐ弁が破れてまして、外科手術で塞ぎましたが、それはエコー検査で判明しました。
そして塞いだつもりの弁のフタが破けていたのが発覚したのもそのエコー検査でした。腹にローション塗ってハンドスキャナーでみるやつです。横向きで長時間じっとするやつで、いまもしんどいですが心不全の不全具合が極まっていたときはかなり苦しかった。半身が水につかった状態って感じで苦しかった。

その2回めと同じことが起こりました。
よくしたもんで、やけに時間がかかるなあ、ヤバいか?と思うとたいていそれ。3回目だからね。そりゃあわかるよ。

今回の富山にいたときもエコー検査してたのになあと担当医にいったら「かなりわかりにくいところにあって金沢の機械じゃなかったらみつからなかったよ」と。

どこまで本当やらと。

今回は富山の看護師を筆頭に医療スタッフに100%の感謝は持ちにくかったです。
もちろん現在生きているのはまちがいなく彼らの尽力と発見と対応と、おれが少しばかり持ち合わせていた運だったんだとは思いますがこの何ヶ月かの誰かの対応がちがっていたらおれの人生はいまとまったく変わってたものになってますね。ま、現在かなりマシなほうにはいるんだけどね(重篤なネタバレ)。

僧帽弁が再び破れているのが発見です。どうもかなりすごいそうです。
「どうりでなにやってもよくならんわけだ」と担当医はあっけらかんといってましたね。

見つかったのはおれの運です。自転車の検査をやって万が一合格してたら富山に戻り、そのまま退院までこぎつけたらかなり死に近かったと。
(んまあ、あとからリハビリの先生にそういったら、まずOKな数値はでなかったですよと)

そういうわけで入院延長でなおかつ外科手術決定です。

僧帽弁再置換術

です。

2/21長女の誕生日に準備
2/22弟の一周忌に部屋を一旦出るために大抵の荷物を娘が引き取りに来て
2/23次女の誕生日に手術スタートです。

執刀当日、娘は立ち会わなかったそうです。手術のあとあらゆるものを一旦持っていかれてたので(身の回りのはみがきとか本とか。メガネ以外はスマホも服も一旦引き取っていったそうです)、集中治療室にいる時間はまったく外界のことがわかりませんでした。

もちろん手術も全身麻酔からの心臓を人工のものと繋ぎ変えてするくらいの大規模プロジェクトなわけです。
だけどまあ逆にこちらはやることないんですよね。そういった意味じゃ気楽でもあったんですよね。

2/23に手術で3/4まで意識はなかったです。2023年はほとんど消えているような人生でしたが極め付きに消えてましたね。

目覚めました。動けません。視線も体勢もかなり限られてました。
めちゃくちゃ機械がついているのがわかりました。どうしてわかったのかというと、集中治療室の「室内」にいなかったからです。
イメージとしてはショッピングモールのテナントから撤退したあとのがらんとした空きスペース。そこにおれのベッドとそこでしか収まらない大量の機械があり、ほぼその見張りのために(もちろん他の患者も兼任でみている)視界の端に座ってデスクワークをしている看護師が常駐してました。そして何分かおきになにやってるかわからない仕事をしてました。
その「往来」を昼夜のべつまくなしバンバンひとが通り過ぎていきました。
身体にも点滴が2桁ついていて、その「ハブ」のために身体に、寒冷地にはおなじみの三角形のプラスチック片で、凍結したクルマのフロントガラスをガリガリ削るようなものを1/3にしたようなものが右肩に埋め込んでありました。そこからたくさんチューブがくっついてました。

目が覚めてから4日はディスコティックでした。4日なのかどうかもわかりません。
見えるものはフラッシュライトやミラーボールが絶えずあちこちでまたたいて光り輝いており、あらゆるスペースにはgifのようにいろいろなものがうごめいていた。

(19) "Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix" — ナム・ジュン・パイク Nam June Paik - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=2nQXNfmErok

もうちょっと正確に言うとこんな感じ。モニタはそんな多くなかったけど。

他方で「それは錯覚だ」という認識もギリあって、なるほど「トリップ体験」ってこれかって思った。そういうクスリが使われていたかはわからないが、かなり強力な痛み止めはあったみたい。痛くなかった。
前回の2回目の外科手術のときは痛くて動けなく、死ぬときってこうなんだって理解できるほどどうにもこうにもならなかったが、今回はその期間を眠らせてくれていたみたい。

その代わりディスコティックでした。看護師に「なにかしてほしいことある?」って尋ねられて、「そこの壁のフラッシュライトがまぶしいのでなんとかしてくれ」といいそうになる直前でした。

どうやらおれは画期的に回復力が強かったみたいで、目覚めてから2日だかで寝床から起き上がることが。そして3日目には立ち上がることができました。
「3日で立ち上がるひとはじめてだから動画に撮っていい?」などといわれたし、その次の日に簡易便座で座って大便もしました。いずれも医者と看護師とほかのよくわからない方々が10人ほどいた中でやりました。ほぼモルモットな感じでした。
ただまあ動くときはあちこちに大量の点滴やチューブが付いてたので寝返りをうつのも最初は看護師が最低2人必要でした。


それでいて娯楽はラジオばかりでしたね。これもまたサラウンドで聞こえたりずっと位相が回転してたりしてました。メリーゴーランドに乗ってる感じ。


集中治療室にいるときはスマホ持ち込み禁止で看護師の気まぐれでラジオを聴くしかないのよね。
で、そうなると地方だとJFM系、すなわちFM東京だけになるのよね。
それで山下達郎氏のサンデーソングブックを聴く習慣がついたので今もRadikoで聴いてます。
なお、集中治療室晩期はFM金沢ってコミュニティFMを好んで聞いてました。演歌が8割ですがときおり1時間くらいノンストップで昭和の歌謡曲が流れます。はっぴいえんどの「空色のクレヨン」など意表をつく曲が流れる。演歌も含めていい意味で邪魔にならなくて読書できてよかった。


集中治療室にもリハビリの先生が来て、円柱状のビニールボールを足元において踏むとか、立ち上がっては座るとか、やらされてました。

飲み物も食べ物もほとんど口にしなかったような。慢性的に喉は渇いてましたが飲まないと死ぬって感じはなかったのは点滴のおかげですかね。

毎日、回復度に応じて、各種機械が取っ払われていきまして、いた場所がいかにだだっ広いスペースだったのかわかりましたね。

あと頻繁に喉に詰まった痰を吸われてました。コレはかなり苦しい「仕事」でしたがあるほうが苦しいので苦しむ価値はありましたね。
ただ、漏れ聞こえると他の患者はそれを拒否しており看護師とかなりもめていました。

そして大問題が起こります。

毎日点滴や機械が外れていくのですが、その流れで、前記の白い三角の凍結したフロントガラスをガリガリ削る、点滴のハブを取る作業をしようということになり、全身麻酔からの、翌日です。

朝起きてほどなく、右手に感覚がないことに気がつく。
「あれ、右手がしびれていて感覚ないんですが?」
看護師に告げる。
「ああすぐ治りますよ」って答えがくるのかと思ったら、先生に即伝えて、おれの右手を診て、すぐに別の先生に相談に行く。そのあと半日音沙汰なし。
とてもまずいことが起こったみたい。それは退院して現在もなお実感しています。だって、いまも右手麻痺してるんだもん。

どうやら全身麻酔をして点滴の器材を外すときに右手の血管に血栓がつまり、右手の心筋梗塞のような状態になったようです。
(実にそれは退院間際までのいろいろなひとに聞いたことを総合した結果です)
右手が肘から先、正座して痺れた足の裏みたいになっており、ピクリって程度しか動かない。右手だけでボウリングの玉を持ち上げようとするくらいしか動かない。そしてときおり高所から飛び降りて着地したときの脚のような痛みが走る。

右手の動脈のところにうでかい5円玉くらいのボタンがつけられている、なんかあったらすぐにそこからペースメーカーを入れて作動させるための緊急措置らしい(んまあそれくらい危険だったそうですよ→あとで特別長く話しした担当に尋ねたら手術の成功率は8割切ってたらしいし)が、なんとなくそれが取れたら治るんじゃないか?ってけっこう軽く考えていた。それは金沢を出るまで軽く考えていた。

その後、右手麻痺のまま「これもやっておきましょう」なんていってペースメーカーも埋め込まれる。
基本1時間30分で終わる予定が4時間くらいかかる。
ペースメーカーは左胸に埋め込まれててちょっと大きめのワイヤレスイヤホンのイヤホンの充電器兼格納ケースくらいの大きさのもので2つの電極が出ておりそれを心臓に差し込んで電気刺激を与えることで心臓に一定の拍動を与えるという仕組みになっておりますが、度重なる手術などで電極を刺す場所が傷だらけでどこにもないって状況だったらしいです。
この処置は軽めの麻酔しかかかっておらずにけっこう痛かったです。時折心臓が痛いという。悪の魔王が胸に腕を突っ込み心臓を握りつぶすアレの軽いやつです。「グッ!」って声が出ますよ。
この手術でがんばったことのひとつであり、わりにクライマックスでした。

そしてペースメーカーを埋め込まれたら割合とすぐに戻されました。
手術→集中治療室という工程を踏んだあとに送られる、それ用の個室です。
富山の個室は普通の個室でしたが金沢のはトイレに全く仕切りがなくてベッドから降りたらそこに便器がむき出しでありました。ああ、刑務所の独房か。いま気が付きました。ただ、当時は機能的で便利でした。なにせ、右手麻痺状態で病衣とパンツの上げ下ろしにも時間がかかるし、両手には点滴をぶら下げている状態でした。

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入ってすぐに尿をとる管が取れて、階の移動が自由になってその返す刀でTwitterのBAN撤回申請の答えも来ましたよ。永久凍結決定みたいな。
なんという歓迎ぶり。家に戻ったら別にアカウント作るべえかと(思ってたら3/18に予告なく復活した)。

ほどなくちゃんとした食事も提供されたけど、右手が麻痺しているので、ごはん類はすべておにぎりにしてもらいました。それは富山に戻ったときも引き継がれたからずっとそれで。それで右手で食べるために右手にフォークを握らせてネットで固定するって手間をしてくれる看護師としない看護師とがあり、右手で食べたり左手で食べたりしてました。
金沢からずっと食欲がなかったのでどうでもよかったです。


入院してからパインが大好物になってしまったなあ。
缶詰も出るけど全然ダメ。

だから、退院したらさしあたりスーパーに寄ってもらってカットパインを買って食べたいというささやかな夢があるわ。問題はそれがいつかという。

医者は「やれることは全部やった」とは言ってたのであとは調整だけなのだけど、それで右手が麻痺してるのが引っかかるという。


個室を出たあたりから、ノルマとして20分歩く、リハビリで自転車を漕ぐってのに、プラスして右手のリハビリもはじまる。
かなりのマッチョで、雑談しだすと、マッチョ話がはじまるし、大体30分のコースを1時間近く話していたりする。アマチュアながらコンテストも出ているようでかなり本格的でおもしろかった。
ただ、マッチョだから治るってこともないようで、相変わらず動かない、握力がない、感覚がない。
神経細胞は毎日1mm伸びる」って言われました。じゃあおれの期間契約の仕事が10月で終わるんだけど、それまでに動かねえじゃん。
これに「ラッキー」と「なんて上長に説明したらいいんだろう?」と複雑な気持ちが続きました。退院するまで。そして職場復帰しないまま期間契約終了でした。「ラッキー」は残ってますが将来の漠たる不安ってのはいま現在も多少あります(多少かい)。


手術のあとの集中治療室はスマホ禁止で個室じゃないとラジオしか聞けない。そこでオロポを知った。サウナーが好むお風呂上がりに飲むやつ。ポカリとオロCを混ぜて飲むといいらしい。

これは集中治療室をでたらすぐに飲んでやろう。これこそが勝利の味だなと。

とはいえ、今の今までかかってしまった。その後、右手麻痺やらいろいろあったし。やっと昨日から院内移動自由でシャワー解禁になったので、シャワってから勝利の味を。

ただ、むせて噴き出したわ。布団をびしゃびしゃに。まだ、一気飲みはダメだなあ。

オロポ自体は美味かったけど、これ飲むなら以降は素直にマッチ飲むわ。


心臓の方は「やれることは全部やった」とはいわれてます。あとはおれ次第だとも。
娘を富山から呼び出してカンファレンスルームで話したりもしてます。
以下箇条書きで。

心不全の具合を4段階にして末期が4だとするとおれは限りなく4に近い3
・外科手術前は心臓移植も考えようかって話だったらしい。それはおれも初耳だった。
・だけど手術自体はうまくいった。現状これ以上ないくらいうまくやったし、その経過は良好だ。
・あとはあなた(おれのことだ)次第。
・目安としては「次」の入院までの期間が長ければ長いほど生存率が上がる。3があるいは2になる可能性もある。
・右手の麻痺に関しては、富山の病院にも申し送りするし、その後のリハビリなどは相談してくれ。

娘も昨日あちこちググってロクでもない記事ばかり読んでたので拍子抜けしたと。
でも、ま、不安だよね。明日転院だけどそこからまた一波乱あるんじゃねえだろうな?と。

忘れるとアレなので心臓移植の話も書いておこう。

心臓移植になると、今入ってるペースメーカーのように人工心臓を埋め込んで生活します。人工心臓を埋めても日常生活は送れますが、ペースメーカーと違い人工心臓は外にむき出しで、管理はセルフでやらないとダメらしいです。あとリュックみたいなバッテリーを背負わないとあかんらしいです。

そして7年から10年かけて心臓移植の順番が回ってくるのを待つんだって。

で、他人の心臓をもらって移植。

移植したら日常生活が送れるそうな。免疫の薬を毎日飲むのと、生魚はNGになるんだって。寿司食えないじゃん。

そうならなくてよかったわ&退院したら寿司食おう!と。

3/27から富山の病院に戻る。


さっきペースメーカーの専門医が来ていっておれに埋まったやつの調整に来た。ブルートゥース見たいので調整できるみたい。

で、いろいろ尋ねたら、アウトって他の医師にいわれてた体脂肪計付きの体重計は「あれくらいなら大丈夫ですよ」っていわれましたよ。

マジかよ、おれ昨日Amazonで買ったぞ。血圧計といっしょに。だって家には体脂肪測定の体重計しかないんだもん。
実際は右手動かないのにxbox series Xの方がアホな買い物なのにそのことのほうがダメージが大きい。

 

>で囲んであるのはマストドンで書き残していたものです。

 

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