闘病記

心筋梗塞になって入院してからの病院関連の記録日記。そんな闘ってません。

2回目手術日記

これまでのあらすじ。


ナイフ1本口にくわえて入るのも出るのも難攻不落といわれたアルカトラズから脱出を企てるもあと一歩で失敗し、生きて帰ったもののいない最下層独居房におくられたおれだったが、4月30日に心筋梗塞で救急車にて入院し、治療がはじまったものの、心臓の弁に難があるために外科手術することになり、内科より外科に移動、そして手術となり、経過は順調で、6月の18日にいったん退院するも、1週間後の外来、3分で心不全ということで再入院が決まり、さらに検査していくうちに再手術の必要があることがわかりました。

その再手術についてこれから書こうとしてます。最下層独居房ってそれでも乳房の房ってあるからいいこともありそうに思えるよね。


治した弁の違う場所から血がもれはじめたためにもう1回本格的に閉じるぞって感じになったわけです。そのためにはまた同じ手順で開けてって。

うわあと、思ってたら、今回はさらに難しいらしい。

なぜなら、1回目の手術によって組織が癒着しているので、それをうまく取り除くのが困難だそうです。そこいらの仕組みはよくわかりません。でも、時間でいえば前回の手術よりは上だそうですよ。


ということでまるでデジャヴのように、ひと月前のことがらがリプレイされていくのを不思議に眺めておりました。まちがいさがしのようにいろいろとちがいましたけどね。

たとえば、前日に話をききにいった麻酔課の先生は男性になって、なおかつ話をした部屋が2号室になっていたりとか。


当日30分前に叔父叔母があらわれ、お尻に筋肉注射をうたれ、ボンヤリしているうちに4階の手術室までベッドごと運び込まれるところまではビデオでみるかのようだったけど、今回はもうそこで記憶がないですね。

麻酔科の担当と話したのかさえ覚えてません。


で、寝ている間に、全身麻酔をかけつづけられ、人工心肺により心臓を停止させられメスで肉を切り、グラインダーで骨を開けて、癒着している心臓組織を丁寧にほぐしていき、また心臓を切り開いて弁をみてみたわけです。おれはみられたわけですが。


手術の結果、おれの弁は人工のモノと入れ替わることになりました。そうなるとどういうことかというと第一級の身体障害者になるそうですって。


当時はそういうことがわからず。麻酔中でしたが。

例によって目が覚めたら集中治療室。

今回、リハビリの先生やら、麻酔科の先生が、のぞき込んでなにかいってる。

しばらくしてオヤジが顔を出す。

当然のことながらこっちはまだなにかがノドにささっていてしゃべることはできない。

ただし、前回の手術の目覚めた後の死ぬかと思うくらいの渇水感はない。それは3回くらいいろいろなところにいったのが功を奏したのかしらと思っていたけど、もっと意外なところに理由があった。


さて、手術自体は先生のお仕事ではありまして、寝ているだけでいいんだけど、目が覚めたら今度はこっち痛みとの共存をはかるという課題がはじまるわけです。これがイヤだった。そしてこれは長いよ。

実際問題前回の「手術」による痛みが完全に緩和されてたのって再手術直前くらい、すなわち1ヶ月。ついさっき。それでまた同じ行程で痛いんだもんなあ。リセットボタンを押された心境。


これがニンゲン不思議なもんで、どんどん思い出してくるんだよ。「あーそうだった」と。

なにをするにも胸の骨のきしみがあるとかな。


今回は1日ほぼおれの担当でつきそってくれたメガネ看護師さんに最大限の感謝をしたいわ。あの子のやさしさに救われた感は半端ない。

じゃまじゃない手間かけといいますか。さすが、集中治療室のスタッフということもありますが、そういうこと抜きに非常に話がしやすかった。おれが車寅次郎だったら柴又の団子屋につれていってたところだよ。ほどよいタメ語とほどよい敬語と。相性がよかったというと単なるくぬぼれになりそうだけどさ。


ただ、彼女がいても時間のすすみが遅いのは変わらないんですけどね。


で、また、気と進行の早い担当医が、「あれはもういいや、これも点滴終わりにつき終了」みたいにテキパキと終わらせている。


そこで、50文字のひらがな表で指差しつつ、上記の手術の結果なんかを聞いたりしているのです。

そして、くわしくは忘れたけど、けっこう爆笑のなかあった人工呼吸器を抜いたときのあとの氷が死ぬほど美味かったのも覚えている。あれだけは全人類味わって欲しいね。って、水分1日ガマンのあとの仕事明けビールのほうが1000倍美味いか。


「あ、もしかして、今日が何日かわかってます?」


メガネ看護師さんが思い出したようにたずねる。

おいおい、なにいってるんだよ?と即答しようとして「わからない」。そう、わからないのです。


「やっぱりそうだったか。聞いておいてよかった」


と、そこで驚愕の事実。

「今は10時です。午前でしょうか午後でしょうか?」


え?それは当然午後じゃねえの。


実に、まだ手術から24時間経ってないんですよ。

えええええ?


本当タイムスリップの衝撃。あるいは猿の惑星で自由の女神をみつけたかのような。ダースベーダーが、、、(もういいよ)。


手術あと、おれは目が覚めて、12時間以上待ってたオヤジと話して、そのあと早朝にオヤジがガキどもをつれてきたのと会話していた時点で、2日くらい経ってるのかと思っていた。


そう、だから、渇水感がないのは前回より寝てる時間が少ないからというシンプルな理由だったのです。


このトクしたのかソンしたのかよくわからない時間泥棒の感覚は実に今もちょっとおかしかったりします。書いている今日はまる1週間目です。


で、その後も、担当医のスピードっぷりは続いて、毎日アレ抜いてこれ終わらせてやってるうち3日目で集中治療室を抜けることになりました。


あーと、今回もチンチンは洗っていただきました。やっぱりメガネ看護師さんが一番でした。本当にありがとうございました。後日お迎えに伺います。


さて、その後、金のかからない個室へと移されます。前回も今回もいい思い出はないんですが、答えは簡単です。ただ動けなくて痛くてじっとしてるだけだから個室とか関係ないからなのです。前回は運良くユニットバスに入ることができましたが、1日早く移った個室はまた1日早く出ることになります。当然、現在も風呂もシャワーもナッシングです。


ドレーンといって腹のなかの不要な液体を抜くために管をぶっ込んでるんです。3本、あるいはもっとかもしれませんけど、それの1本が左わきの下にささってます。これが今回、針でついたような新しい痛みを提供してくれてます。相変わらず、どうしたんだ?ってくらいせき込んでは胸の骨をきしませて痰が出て、それも無色透明のねばりけのある唾液みたいなのばかり延々と。ティッシュペーパーは1日で1箱つかって、病院にティッシュを「借金(借箱)」してまで使ってました。ま、最終的にトイレットペーパーをかっぱらってつかったりしましたが、1日で誇張抜きで、枕の綿になるくらいティッシュ使ってます。絶倫痰王です。

もちろん、せき込むたび、痰を出すたび、傷が響きますし、それでへんな体勢になると、ドレーンの痛いのが襲いかかるって寸法でさあ。手術っていたいよなあ。小さいときから心臓悪いコとか心底すげえと思うよ。


痰は現在相当小康状態です。

そして、最後のドレーンも手術より1週間後の今朝に抜けました。現在は点滴1本だけがおれを縛り付けております。ま、あと、痛みと。


この3日は暑くて、眠るに困り眠剤を飲んでおります。


今夜ももらったけどどうしようかしらねえと思ってます。

なんだか、「眠剤くれくれ」いうオッサンがどれもあさましくみっともなく映るんですよね。なんだってあんなせっつくようにもらわないとダメなのか。


3度目の正直ですが、また、移った4人部屋はおれがいたところです。4回目で、なおかつ3カ所のベッド位置を体験しております。

また窓際。また西日地獄。

早いとこ退院したい。ただし、今回は完全に体調整えないとなあ。