闘病記

心筋梗塞になって入院してからの病院関連の記録日記。そんな闘ってません。

ふわふわ時間

一般床に移り7日過ぎた。
 入院して集中治療室に入れられたときは、左手に点滴2本、左足に1本。左股の付け根には手術痕。右手には30分おきに自動で測る血圧計、人差し指には酸素の濃度を測るクリップ。2時間おきに採血。検温。身体には心電図。尿道にはクダが差し込まれオムツ着用という状況。
現在、ワイヤレスの心電図のみになっている。もちろんオムツは履いてない。自前のパンツ。 なおかつ、室内は移動が自由になり、トイレ行き放題で洗面台で顔も手も洗い放題。

 4月30日にここに運び込まれて心臓が止まってから生まれ変わったんだなと思うようになった。 集中治療室はいわば子宮にいたようなもので、あらゆる自由がなかった分至れり尽くせりなところもあった。 そして、一般床からはこの世に生まれ出でて日毎に自由が高まり、自分でいろいろとできるようになっていく過程の真っ只中。 
担当医が一般床に移りたてのおれの様子をみにきたときに「ようこそ下界に」ってギャグをかましたのはいいえて妙だったんだな。 

集中治療室のときはマンツーマンではなかったけど、2人に1人のような割合で看護師がいたし、ラジオブースみたいにガラスをはさんだむこうには看護師さんが必ずいてナースコールを押す前に「どうされました?」なんていわれたものですが、ま、今は40人とかに2人くらいなイキオイなので、ナースコールをしようと思ってもその帳尻合わせのドタバタぶりがハンパなさそうでついためらってしまうことが多々ある。

 個室ではまたちがう感じがあることは身内の例で知ってるけど、病室内の患者はトランプのゲームの大富豪大貧民をやってるようだ。
 たとえば、看護師が朝な夕なに体温や血圧を測定しにきます。そのときに「体調はどうですか」とたずねられる。 そこで、各患者とのトークタイムがはじまる。ま、男女区別なく長いひとは長い。 くわえて、そのときに用事や不平不満をつげる。それが遅い場合はナースコールで催促する。そして「ワガママ」を確実に通す。そうやって、「前のナースはちゃんとやってくれた」と実績を積み上げていくわけです。 こういうかたが富豪ね。部屋内のカードを1枚多くもらえる立場になります。
 看護師には割り当てられた患者数というものがあるわけで、どうしても、決められた時間内に検温なら検温の「ノルマ」を果たさなければならないわけですが、こういう富豪に手間がかかった分を調整しなければなりません。そう、それが貧民になるわけです。 もちろん、看護師にはそんなつもりはないだろう。 それでいて「体調はどうですか?」とたずねられて「とくに変わりありません」と正直に答えるのも問題はないはず。そこで会話が終わってもいいよな。 ただ、それでもいろいろと話しかけてくるあたりがプロだね。 でも、「貧民」に決定はする。よくとると「手間のかからない優良患者」というみかたもあるだろうけど。カードは1枚取り上げられる。 こうなるとあしらわれるように感じる。貧民の立場からはそう感じる。すごく矮小で嫉妬深い小さい自分を告白するようでもうしわけないけどそう感じてしまう。 

たとえば、おれは、現在のところ、部屋内のみ自由に動くことができますが、歩いて室外に出るときは看護師つきそいの「リハビリ」じゃないとダメです。もちろん自由に歩くことができるわけじゃありません。 こうなるとお茶をくむときに困るのです。だけど、お茶をくれというと、毎日配りにくるときにもらえっていわれるし、夜に水をくれっていったらもっと時間考えてヒマなときにしてくれたたらありがたいって「ニュアンス」のことをいわれます。その後、一応くんできてくれますけど、2回ばかりそういうニュアンスをだされるともうひるんでしまうわけです。
もともと対人恐怖症の女性恐怖症の非コミュだからして。 今は、11時に配りにくるお茶をもらって、夜の水は部屋内の洗面台から常温の水をくんでしのぐことにしてます。一応飲料可ってことだし。本当は氷水がいいんだけどなあ。

 本コラムは「闘病記」なんて大上段にかまえたタイトルではあるが、病と闘うってなんだよ?とは常々思っている。 今は、ただベッドの上に「居る」というのが主な「仕事」であり「治療」であり、いうならば「闘病」だけど、闘ってる感じはとてもない。 
朝に1回だけクスリをのむ。あとは午前午後のリハビリ。担当医が1分くらい顔をみにきて、ちょっとした話とインフォメーション。あとは何回あるんじゃ?って検温や血圧測定。残りの時間は安静にしている。これが「闘病」のすべて。 

たぶんに、それはおれだけが思ってることじゃないです。同室のジジイども(おれがそう断言できるくらいのジジイ率)も、集中治療室のときはまわりがずっとババアどもで、彼女らもそうだと思います。日々ベッドの上で「こんなところでなにやってるんだろう?」「なんで治って早く退院できないんだろう」と思ってるだろう。 そういうフラストレーションやストレスがいろいろな愚痴や小言やワガママとして身内や看護師にぶつけることになってると思う。富豪も貧民もそこのところはしかりです。そういうことでいうと真の勝者は退院していくものなんですよね。 病室内で富豪でいてもそんなもんんはなんでもない。

 だから、看護師は大変だなと改めても思うわけです。患者の不安な気持ちから生じるモヤモヤを受け止めて受け流してそれで和らげたりしなければならないですからね。 それには愛憎が渦巻いてるわけでね。よく、もと患者が医者や看護師を刺しただの病院で暴れただのいやがらせをして捕まっただのあるのもわかります。それだけ複雑な感情を持ってしまう。 なまじ、かつてよくしてもらってると、余計にひいきにされないとイヤになる。その気持ちにはおそらく底が無いと思う。富豪も貧民ももっと看護師にかまってもらいたいって欲求と同時にいうこときいてくれないからイラつくって感情が走っている。

ジジイババアの人生の先輩方をみている分にはその感情は一生モノなんだなと思ったりしてゲッソリする。 
思いきりそれに巻き込まれてる看護師は大変、スゴイ、って感情と同時に、どこか別の世界のヒトとしか思えないときもある。超能力者に畏怖する一般市民的な。おれにははかりしれない。そして、しりたくない。

 傍目からはただぼんやりとイヤホンつけてテレビをみているだけ。イビキをかいて四六時中寝ているだけ。看護師や同室の患者捕まえてどうでもいいことをだらだらと話してるだけ。 そういうふわふわとした、健常者からすれば「おめえらヒマそうでええの」って光景のなか、不安に押しつぶされないように必死で耐えているのがすなわち「闘病」の闘うべき最大の敵なんだろうなと。
不安不安時間。

 おれの部屋の「富豪」。似ている有名人はダンジョンにいるオーガってジジイは1日24時間うるさい。 ひとりでいるときは点滴のバッテリー切らしてピーピーいわせたり、テレビ相手にひとりごと。看護師にはオヤジギャグとワガママ放題。身内がきたらおおしゃべり。そして、夜、地獄の洞穴に吹きすさぶ風のようなイビキをかく。昼寝しててもイビキをかく。
 そんなだけど、昨夜、家族を伴っての病状説明でかなりなことをいわれたらしく、以降エライ静かにしてたし、夜は奇跡のように静かだった。おかげで、入院以来くらいゆっくり眠ることができた。 そういうもんなんだなあと。 

ま、早く退院したいもんすね。