闘病記

心筋梗塞になって入院してからの病院関連の記録日記。そんな闘ってません。

悲しいしらせがあるよ今日ぼくが死んだ

4月30日 

 朝、起きて、店にいくまでは普通。
 上のガキの演劇部最後の公演をみにいくということ、朝ご飯に安売りで買った牛乳でのばしてつくる「クリーミートマト鍋」を食べすぎて気持ち悪いなと思っていたくらい。
 犬はギリギリまで仕事してからパンと出かけるつもりでいたのであえて店には連れていかないで、家につないでエサも出していた。今にしてみれば予兆的なものはそれくらいだった。 
 
「START YOUR ENGINE」とセガの昔のレースゲームは高らかに叫びながらゲームがはじまるのだが、おれの場合「STOP MY ENGINE」だった。 
 
 店に到着した直後からそれははじまった。 今までに感じたことのない痛みが突然。本当突然。 最初は食べすぎたとき、体調の悪いときに食べた魚みたいな、アレルギーのものかなと思ったんです。おれの場合「突然」くるものってそれだったから。 その場合は吐けば治るからって、さっそくためした。 でもダメ。 
 
そこで実は一瞬考えた。「このまま」にしておいてみようかって。「終わる」よなって。いい意味だと、自然治癒。悪い意味だと天に召される。 悩んでいた最中になにげに「なにか体調がおかしいな」とツイートしてるんですけど、これがネットでの最期の発言になるところだった。 
 
でもまあと、ボサーっと新聞を読んでいるオヤジに「 おれはヤバイ」と告げる。 そして救急車を呼んでもらうというか、オヤジが電話をかけたのだが、途中で受話器をひったくってセルフで告げる。脳梗塞言語障害があるので電話だとすごく伝わりにくい。だから。 
 
 救急車が到着してからの感想は「痛い」ばかり。 
胸の痛みはあとから知ることになるけど「死にいたる」ものであったし、それは時間が経つほどに激しさを増している。 
とにかく病院は保険証ありきのところがあるのでそれも電話してから痛みをこらえつつ用意して、そういわれてみればサンダルもなにもなしで連れてこられてることにずいぶんあとになって気がついてるな。 病院につくなり、案の定、保険証だったし、あらゆるこまごまとしたことをされていたけど、さしあたってでいいからこの痛みをなんとかしろって気持ちでいっぱい。 もちろん、そのつもりであったろうし、各種点滴を取り付けていたし、「舌のあいだにいれて」なんてニトロも飲ませられる。 いやもうなんでもいいなんでもいいから痛みをとってくれ。楽にしてくれと祈っていた。 
 すると、望みがかなったのかある瞬間から急に楽になる。ああ、クスリだか処置だかがきいたのかなと思った、次の瞬間にモーレツな痛みとショック。そしておれの名前を横で大声で呼んでいる看護師。 実はこれがいわゆる臨死体験なんだよな。暗闇に吸い込まれるような。 それを AED(自動体外除細動器)、医療映画やドラマでおなじみの電撃ショックのやつ。それで現実に引き戻されたわけだね。 
 
で、あんまり事態が変わってないことに気がつく。電撃ショックのショックとは別に相変わらず「痛い」はそこにあるし。 くわえて大きな変化としてモーレツな眠気が襲ってくるようになった。どうもそれは死へのインビテーションみたくて、なんども「わかりますかー!寝ないでくださいーい!」なんていわれる。
 これまたあとできいたことだけど、このショックは4回目だったそうです。4回目のトライで死の淵から生還したそうで。
 
 しかし、臨死体験ってのはなんていうか業務的なものなんだなと思った。「あ、死にそうね。はいはい。じゃあ痛くない脳内麻薬をチュー」みたいな。 死ぬ間際に、先にいってる奥さんに会うのを楽しみにいきていたんだけど、どうもそれはないのかもしれないなあ。あるいは、あの痛みから開放された闇を抜けた先にあるのか。ま、今は知らなくていいやって気分にはなってる。
今も謎といえば謎だけど、この時点で病気は心筋梗塞に確定していた。血管に血栓って血のカタマリが詰まる病気。
これはずいぶんとあとで聞いたのだが、ヤバイってのは前提であったにせよ、おれのは突発的に起こったものらしいです。どこぞにぶら下がってた血栓が突然取れて詰まったみたいな。
 
その後、左またの付け根からクダを通して、ワイヤーをいれて詰まったところを治すというオヤジがさんざんやっていて身内として説明を受けた「冠動脈インタベーション」、いわゆるカテーテル手術がはじまる。左またのあたりの陰毛を剃られた記憶はある。 おれの入ってる病院はがそうなのか全体的なものなのか(おそらく後者)、とってもにぎやかだったことはよく覚えている。それはあとの集中治療室に入っても同じ。
神聖な手術の場というより、修羅場のチェーン居酒屋の厨房みたいな感じ。正確にいうなら手術自体が始まったほうがスタッフは要らないので、修羅場が過ぎてより軽口が出てくる感じね。 
「難しかった」とあとでいわれたけど、なんだかいろいろな手法を模索されていたのも覚えてるけど、ビジュアル的にはトモダチと交代でスーパーファミコンの「超魔界村」をクリアしてる感じ。 そして「おれ」というゲームもクリアしたみたい。 
「おーうまくいった」 などと。取れた血栓をみて「ホタルイカみてえ」「みせてー」なんてこともいってたかな。
 
 実は臨死体験以降、フィルターがかかっているみたいになっている。ぼんやりといえばぼんやり。はっきりといえばはっきり。酔っ払っていたときの感じかな。
 そして手術が終わったこと、死にかけてたこと、でも助かっていたことなど「知ってる」ことを矢継ぎ早に告げられる。 
 
そして、これから真の「痛い」がはじまるわけです。 
連れてこられた集中治療室に入った。 左またのつけねの手術痕、尿道に入ってるオシッコをとるクダ、息苦しさ。 そして、実に、今も悩まされている腰の痛みが。腰は大事よの。 とくに、手術直後から1日経つまでは、「動くな」ということで左足をしばりつけられて、寝返りすら禁止だった。正確にいうと、寝返りしたいときは看護師にいって、どっちかのサイドににタオルを敷いてもらうという「気休め」をしてもらうのです。 手術前や手術中は「寝ないで」で、今は「寝て」といわれてもなかなか難しいもので、やることもなく天井みたり、カーテン1枚のとなりの「難物」な患者にみんなドタバタしてましたし、患者も元気なもんで「誰か助けてー、ここにいる人に殺されるー」などと魂のシャウトをされてたね。 ここでおれのできるのは深呼吸することと、看護師の目を盗んで寝返りをすることくらいで。
 
  こんな「美味しい」状態は奥さんが死んだとき以来だと思い、「臨死なう」とツイートしようと思い、iPhoneを取り出すたびにどこでみてたのか、となりの患者にかかりきりだった看護師一同からユニゾンで「ケータイ禁止です」といわれる。 あとほど2回トライしたけどそのたびみつかったので、「チェッ」と電源を落としたのだった。 
そして時間は全然すぎていかない。 いつの間にかメガネがなくなっていてまわりはみえないし、動くことのダメが非常にきびしくて、とても自分が悪いことをしたんだなとがっかりする。
 また、心筋梗塞は術後は動こうと思えば動くことができるんだよね。心臓以外は体力があるから。ただ、それで調子に乗って動くとサイアク心臓が破裂することもあるそうです。 そうじゃなくても不整脈からの心不全、さまざまな合併症を防ぐためには、寝返りも控える勢いで休む以外に道がないと。これはあとで身をもって知ることになります。 ただ、その時点では後悔しクヨクヨしておりました。
 
 そうこうしてるうちに下のガキがおれのことをスゴイ顔で見下ろしている。おれも黙って見返す。ほどなく号泣する。まあなあ。
 
 夜が長い。
集中治療室はラジオが流れているけど、だいたい6時から21時。でも、おれが入院した最初の1週間はラジオが流れていない時間帯のほうがどう考えても賑やかでした。フェスティバル&カーニバル状態。 患者の叫び声。医者や看護師の声や作業音や話し声笑い声。子供の金切り声も聞こえてたな。午前3時くらいに。
医療機器の「どうしたんだ?」ってくらいの大音量ぶり。 
「難物」がいると自然にそうなってしまうのであって、おれみたいな単に「安静」にするのが仕事の患者が揃うと静かな夜ではあることはあとでわかったけどなんじゃこりゃと。 
んまあ、正直なところこの1週間、静かだったらもうちょっと回復が早かった気がするよ。いってもしょうがないことだけどさ。 
 
 5月1日ー5月2日 
こんな状態のまま5月を迎える。 心臓に負荷をかけないまま回復を待つという至上命令にとりくむ日々がはじまるわけです。すなわちそれ寝て過ごす。 1日と2日はそれでも、朝に飲ませてもらった冷たいお茶がとっても美味しかったり、食事があったり、寝返りくらいなら自由になったり、電動ベッドで背もたれを起こしたり倒したりが自由になったり、オムツにクダがついてるチンチンやお尻を看護師に洗ってもらったりと人生2回目の入院ライフを満喫していた。リゾート地にきて退屈を満喫してるのだと。
 
 5月3日
 ウツが最大に高まるのが3日。 前記のとおり看護師はとなりの「難物」相手に楽しそうに働いておられるわけよ。エライなあ、スゴイなあと掛け値や色眼鏡なしに思うわけよ。こんなタイミングで心筋梗塞やってるマヌケとしては立つ瀬がないわけよ。ま、寝てばかりで立ってないんですけど。 あのときやっぱり死んでおくのがよかったのかなあとかナサケナイ思いでみたされるよ。入院中はその波が絶えず押し寄せてるけど、最初のでありけっこう大きいのに巻き込まれてグルグル海底を転がっていた。
 原因は明白で、かなりいろいろな制限があるからだね。とりわけネット環境。 iPhoneに関しては、せめてオフラインでいじらせてもらえないかと、話がわかってて高い地位にいそうな男性看護師にお願いしたところ、「この時期はテレビをみてても心臓に負担がかかる(だからラジオがかかってる)からやめてくれと。 まあ、あとからすればもっともだけど、無力感もスゴイわけでなあ。 
ただし、紙にペンで書くのや、本を読む分には少しならいいよと。 それなら!と、きたるべきネット環境に備えてネタを書きためておこうと思ったけど、これがゴールデンウィークまっさかりでさ。 
「おれのところにくるヒマがあったら休憩して体力温存してろよ」と身内には告げてある。ま、おれは横になってるだけだしよ。
 もう万策尽きて、明日きてくれるかな?と神に祈るほかないわけです。ほら、メールもないわけだし。 じゃあ、寝るしかないわなと不貞寝(あるいは入院期間がずっとそれなのかもしれないけど)していたら、ふと気がつくと制服姿の上のガキがおれを黙ってみおろしていた。 3日4日は普通に学校があったそうで。 と、おれにノートを差し出した。オヤジからの伝言でいくつかの調味レシピを書けと。 
見事なほどの渡りに船だ。おー書く書くと。それはそれとして本とノートを買って来いと、売店に走らせた。 
 
三上 延¥ 620
 


 
「おもしろそうだったから」とチョイスしたのがこれだった。 「おれがおもしろそうなの」というオーダーをすっかり忘れていたなとちょっと後悔した。もう全然本を読まなくなったこともあるけど、メディアワークスの文庫ははじめてだ。
 
 北鎌倉駅の沿線にある小さな古書店が舞台の連作集。 本のこと以外になるとからきしになる超内気な美人オーナーと体質的に本を読むことができない主人公が、来客の本に関するさまざまな悩みや謎を解き明かすというもの。 
小説自体も久しぶりなら一人称のものもかなり久しぶりだなあと思いつつ、「これを読むしかない」という状況はかえってあきらめがついていいぞと思い読み進めた。
 すると突然に涙がすっと流れる。なんでもない場面のなんでもないところで。 
そして2話目はなんでもなくない場面のなんでもなくない箇所で滂沱の涙。
 「物語」の愉悦がモーレツなイキオイでしみこんでいく。それこそ胸が痛くなるくらい。 これがまたよくできた小説でな。1日のうちに2回も読んでしまった。
 オーソドックスでムダのない丁寧な描写。愛すべきキャラクターたち。いくつもの仕掛けられた謎。 そのおもしろさにすくわれたような気がした。おれは生きて、「おもしろい」を探し続けてもいいんだと許されたような気がした。 
1冊の古書にまつわる数奇な運命を描いてあるその本がおれにとって運命の本になってしまったんですね。
 心臓で入院し、この病院に救急車で搬送され、集中治療室はケータイ禁止で、移動も連絡もままならない状態で、上のガキのセンスによるチョイスで、そもそも、ここの病院の売店(これを書いている時点ではまだどういうところなのか確認してない)に在庫があって、そしてなによりも生きていたからこそ。
これだけの偶然のなかからおれと出会った奇跡の1冊。 あるいは、そこそこの本ならなんでも感動していたのかもしれない。その可能性は正直高い。 だけど出会ったのは本書だった。これが重要だよね。運命の出会いってこういうことだし。
 
 命の恩本。